HOME>ブルガリアのヨーグルト>ゲネジス研究所
プロバイオティクスGBN1のページ |
||
マリア・コントラテンコ氏とゲネジス研究所 |
||
総合研究大学(国立民族学博物館) |
||
文化科学研究科比較文化学専攻 |
||
博士課程 マリア・ヨトヴァ |
||
ブルガリア国立乳酸菌研究所の初代所長として、またブルガリアにおけるゲノム研究のパイオニアとして一流の研究実績を持つマリア・コンドラテンコ氏が、国立乳酸菌研究所の所長を退官するにあたり、御子息のアレクサンダー・コンドラテンコ氏の協力を得て、ブルガリアの食品・バイオテクノロジー分野における初の民間会社として、1991年にゲネジス研究所を設立しました。 「ゲネジス」とはブルガリア語で「起源」を意味します。マリア・コンドラテンコ氏によると、ブルガリアの美味しい乳製品の起源は「乳酸菌」であり、ブルガリアに固有の乳酸菌や伝統的な乳製品はブルガリアの宝であるという信念から、「ゲネジス研究所」と名づけたということです。 国立乳酸菌研究所で彼女のもとで研究活動に従事していたスベトラナ・コンドラテンコ氏をアレクサンダー・コンドラテンコ氏の細君として迎え、それぞれに研究開発と経営管理を担当させ、さらにマリア・コンドラテンコ氏の孫二人も55年前に彼女が卒業したプロフディフ食品技術大学に入学し、それぞれ乳製品技術、微生物学を専攻しています。このように彼女の乳酸菌研究への熱心な姿勢は家族三代にわたってに継承されています。 現在、ゲネジス研究所の乳酸菌スターターはブルガリア国内はもとより、ロシア東欧など15カ国に輸出されています。そしてゲネジス研究所は国立乳酸菌研究所と並び東ヨーロッパのプロバイオティクス研究において確固たる地位を占めるに至りました。 しかし、ゲネジス研究所のここまでの道は決して平坦なものではありませんでした。創業当時は激動の社会変化のなかで、国が管理する寡占市場から自由競争市場への移行において数多くの障壁がありました。また、資金不足のため、いい機材や設備など研究環境を十分整えることができず困難続きでした。当初は乳酸菌研究に必要不可欠な顕微鏡さえ国立肉産業研究所から借りなければなりませんでした。このような状況でしたので生産能力も非常に低く、乳酸菌スターターを週に1Kg程度しか生産できず、研究するにも苦しい状況でした。しかしマリア・コンドラテンコ氏は強い信念を持って、苦労しながらも乳酸菌研究に熱心に努力し、家族とともに困難を乗り越えることができました。そして国立乳酸菌研究所での長年の経験や研究努力によって、10年でゲネジス研究所をブルガリアの代表的な研究所として育て上げたのでした。 昨年2月にマリア・コンドラテンコ氏は80歳の誕生日を迎えましたが、あたかも乳酸菌研究に魅了されているかのように、今もなおゲネジス研究所に足を運んでいます。「80歳になっても顕微鏡からなかなか離れられません。乳酸菌というのは人のように性格がそれぞれ異なり、大変面白い生き物です」という彼女の言葉から、研究への熱意や乳酸菌に対する温かい気持ちが伝わってきます。 現在はスベトラナ・コンドラテンコ所長が研究活動を指導・管理していますが、彼女は創業者であるマリア・コンドラテンコ氏の乳酸菌研究に対する積極的な姿勢およびチャレンジ精神を受け継いでいます。スベトラナ・コンドラテンコ所長によると、ゲネジス研究所の使命は、ブルガリアの国内国外を問わず、できるだけ多くの人々に健康を届けることであるといいます。そのために最優先すべきは市場ニーズに応えられる美味しい乳製品の製造を可能にする乳酸菌スターターを開発すること、および機能性の高い乳酸菌株を分離同定し、新しい乳酸菌スターターを開発することに重点を置いて研究活動をしています。 ブルガリアでは、伝統的なヨーグルト(サワーミルク)は「天然のプロバイオティクス」と見做されており、ブルガリアの山岳地方や人口密度の低い森林地帯は、ブルガリア特有の乳酸菌の宝庫だと言われています。ここでは国立乳酸菌研究所、プロフディフ食品技術大学、科学アカデミーなどの微生物学者、乳製品技術者は、乳酸菌の探索(スクリーニング)と特性の評価や、それによる新しい乳酸菌の発見と健康食品の開発に鎬を削っています。ゲネジス研究所の研究活動もこれらの優れた研究者達との共同研究および競争によって支えられているのです。 |
||
マリア・コンドラテンコ会長を囲んで |
||
左から、スベトラナ・コンドラテンコ所長、マリア・ヨトヴァ(筆者)、マリア・コンドラテンコ会長、アレキサンダー・コンドラテンコ社長、中垣社長(2009.2.11.) |
||